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心療内科で心理検査を勧められて悩んだ話

2026年2月9日

心療内科で心理検査を勧められて悩んだ話

― 予約する前に、私は自分の困りごとを全部書き出した ―

2025年9月から自宅療養が続いています。 対人関係が怖くなり、外に出ることも、人と話すことも、しんどくなりました。

心療内科に通う中で、 「もしかしたら発達特性も関係しているかもしれない」 という話になりました。

【家族歴を提出した日(1月9日)】

1月9日、家族歴を主治医に提出しました。 その際、主治医が執筆した『発達障害の解剖図鑑』を購入し、 自分に当てはまる症状にチェックを入れて、次の診察で持参するよう言われました。

正直、 「自分は発達障害なのかもしれない」 と意識したのは、この時が初めてでした。

【心理検査のパンフレットをもらった日(1月22日)】

1月22日、チェックした本を持って診察へ行きました。 すると今度は、日本心理検査センターのパンフレットを渡され、

「ゆっくり考えて、必要なら紹介状を書きます」

と説明を受けました。

この時、私は一気に不安になりました。

  • 検査って、受けた方がいいの?

  • 受けたら、何かが決まってしまうの?

  • 今の自分は、そこまで進む段階なんだろうか?

頭の中が、ぐちゃっとしました。

【いったん止まった理由】

その場で 「お願いします」 と言うこともできました。

でも、私は言えませんでした。

理由は単純で、 検査の必要性を、自分の中で判断できなかったからです。

心理検査は

  • 診断の材料

  • 状態を知るための一つの手段

であって、 診断そのものをするのは主治医だということも知りました。

だからこそ、 よく分からないまま予約するのが、どうしても怖かったのです。

【予約の前にやったこと】

私は、検査の予約を取る前に、 自分の困りごとをすべて書き出しました。

  • 対人コミュニケーションで何に困ってきたか

  • 子どもの頃からの違和感

  • 仕事で何度もつまずいた場面

  • 音や環境への過敏さ

  • 方向感覚の弱さ

  • 失敗した時に、うまく説明できないこと

正直、書くのはしんどかったです。 思い出したくないことも多くありました。

でも、書いていくうちに、 一つだけはっきりしたことがありました。

【「診断名が欲しい」のではなかった】

私が欲しかったのは、 診断名ではありませんでした。

  • どうして、こんなに人とのやり取りがしんどいのか

  • どうして、ずっと生きづらさを抱えてきたのか

  • これから、どう関わっていけばいいのか

それを、主治医に正確に伝えたかっただけでした。

【障害年金の申請時期を知って、考え直したこと】

私の場合、 2027年3月17日以降に、厚生障害年金の申請を検討する時期になります。

調べて分かったのは、

  • 障害年金の審査では、直近3か月ほどの症状・生活状況が重要視される

  • 心理検査の結果だけで判断されるわけではない

  • 診断書には、日常生活や就労状況など、実際の困りごとが反映される

ということでした。

つまり、 今このタイミングで心理検査を受けることが、将来の申請に直結するわけではない と理解しました。

【検査費用という現実】

心理検査の費用は、約25,000円と高額です。

私は現在、無職です。 生活費も医療費も切り詰めながら過ごしています。

正直に言うと、 重要視されない可能性がある検査に、今の私が大切なお金を払う余裕はありません。

これはケチの話ではなく、 今の私にとっての「優先順位」の問題でした。

  • まずは生活を守ること

  • まずは体調を立て直すこと

  • まずは安心して過ごせる時間を増やすこと

検査は、そのあとでも遅くない。 私はそう判断しました。

【今回の私の選択】

今回、私は

  • 心理検査は今すぐ受けない

  • まずは困りごとを主治医に伝える

  • 検査の必要性は、主治医と一緒に考える

という選択をしました。

この判断が正解かどうかは分かりません。 でも、 分からないまま流されなかったこと それ自体は、自分で自分を評価してもいいと思っています。

【同じように悩んでいる人へ】

心理検査を勧められると、 「受けなきゃいけないのかな」 と感じる人もいると思います。

でも、

  • 急がなくていい

  • 分からないまま進まなくていい

  • 一度立ち止まって考えていい

検査は義務ではありません。 選択肢のひとつです。

【おわりに】

今の私は、 外に出ることも、人と関わることも、まだ怖いです。

それでも、 こうして自分の困りごとを言葉にできたことは、 私にとって確かな一歩でした。

この記録が、 どこかの誰かの「立ち止まって考えていい」という安心につながれば、 それで十分です。