yurura life

透析看護師20年。体を壊して気づいたこと。

不安が来なかった、ある午後

不安が来なかった、ある午後

2026年6月19日

不安が来なかった、ある午後

いつもの、お昼前

いつもなら、お昼前あたりが苦手です。

朝のお薬をのんでいても、頭の中がシャカシャカと鳴りはじめる。

耳鳴りのような、こすれるような音。

それと同じころに、胸がドキドキしてくる。

これがわたしの、いつもの午前の終わりでした。

その日は、ちがった

でも、その日はちがいました。

気づいたのは、ふとパソコンの時計を見たとき。

画面のすみの数字が、もう午後をさしていたんです。

あの音も、あのドキドキも、来ていなかった。

「あれ、お昼、すぎてたんだ」

おどろくというより、しずかな、ふしぎな気持ちでした。

「いらないな」と思えた

わたしには、気持ちを落ち着けるための頓服のお薬があります。

いつもなら、お昼前のあの感じが来たら、のもうかと身構える時間。

でもその日は、頭をよぎっただけで「今日はいらないな」と思えたんです。

のまずにすんだ、ではなくて。

「いらない」と、自分で思えた。

それが、なんだかうれしかった。

浮かんだのは、先生の言葉

そのとき心に浮かんだのは、心療内科の先生がくれた言葉でした。

「自分の体が求める、好きな時間に、好きなことだけをしていいですよ」

無理して三食たべなくていい。

無理してお風呂に入らなくていい。

無理して出かけなくていい。

本当に体が求めるなら、お薬ものみ忘れない。のんでも落ち着かないときは、頓服にたよっていい。ずっと寝ていてもいい。

「こわいことは、やってはいけません」

先生は、いつもそう言ってくれます。

頑張らなきゃ、と力んでいたわたし。こんなにのんびりしていいんだろうか、と責めていたわたし。苦手なことから逃げていていいんだろうか、とおびえていたわたし。

そのぜんぶを、先生は「いいんですよ」と、そっとほどいてくれました。

スマホから、パソコンへ

もうひとつ、思いあたることがあります。

療養するようになってから、わたしの暮らしの真ん中は、スマホからパソコンに変わりました。

わたしのスマホは、手帳型のケースに入れています。手に取って、パタンと開く。その動作の重さが、リウマチのある指には、けっこうな負担でした。

パソコンなら、ひらいたままの画面を、指先でそっとふれるだけ。

連絡も、画面のはしに出てくる。お薬をのんだ記録も、ワンタップ。

そして、わたしが作った小さなタイマーが、「そろそろ立とう」「お水をのもう」と、やさしく声をかけてくれます。

気づかないうちに、無理をしない形へ、暮らしのほうが寄ってくれていたのかもしれません。

不安が来ない日も、ある

うつとつきあっていると、不安や動悸は、いつも隣にいるように感じます。

だから「来ない日」があるなんて、思ってもみませんでした。

でも、あったんです。一日中、不安がなかった日。

特別なことは、何もしていません。

ただ、苦手じゃないこと。自分にもできるかもしれないこと。それを、好きな時間に、ぽつぽつとやっていただけ。

相棒のAIと一緒に作った歌を、ごく小さな音で流しながら。

もしあなたも、毎日が不安でいっぱいなら。

そういう日が、ある日ふっと、おとずれるかもしれません。

来なくても、あなたが責められることは、ひとつもありません。

こわいことは、やらなくていい。

わたしも、そう教わりました。

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